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改版【ノン‐フォーマル教育】
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改版【想定外と真理】
自然を教場にした体験活動、外で遊ぶことから知ること
⇒ 形有るものは壊れる 命有るものは滅びる
⇒ 自然のものはリセットできないことを知る ⇒ 人格を築く
自然を教場にした体験活動は、自然界をリセットできないことを知り、信仰心を育てます。
信仰は、人知の及ばないものへの畏怖・畏敬の念から生まれ、それと共に在ることに精神基盤を置くもので、特定の神などを崇拝し、他を否定する宗教とは異なります。
「信仰」と「宗教」を同じものとして捉えることはできません。
その人の能動的な意志が信仰であるのに対し、宗教は、「教え」 を授ける拠り所となって、その人にとっては受動的なものになります。
人を始め生き物は、DNAによって存在し、特に人は、先人や歴史に学びながら、人知の及ばない畏敬の対象に『神』を感じ信仰を生み、更に、神に対する鬼や魔の存在、天使に対する黒天使の存在も感じ、宗教も生み出しました。
信仰の宇宙観は、陰陽、二律であり、陰が無ければ陽も有り得ず、色即是空 空即是色、輪廻無常 の観点に立ちます。一方、多くの宗教は、二律を認めず、己にとって都合の良い方を選び、正悪を付け、神との契約思想による選民意識、差別意識を生存の基盤にします。
自然を教場にする体験活動は、二律、二元の宇宙観に真理のヒントを模索します。
日本人は 「無宗教」 で、それが文化的に劣るかのようにも言われます。 しかし、正しくは、日本人は、自然界や宇宙、及び、そこに組み込まれる祖霊を 「信仰」 の対象とし、そこから生きることの理(ことわり)を学んでいます。 宗教で言う「教え」は、信仰では理の「教え」であり、日本人は、それが「教え」だと気づかないほど日常生活の価値観となり、文化を形成し、生活しています。 宇宙、そこには人知の到底及ばない真理が有り、未知と想定外を孕んでいます。